風の向くまま

〜Oz's Leaves管理人のブログ〜
マスクと日本人
思うこと
花粉症がすっかり定着してから多くの人がマスクをするようになったけれど、インフルエンザが猛威をふるうようになった数年前から、本当にマスク人口が増えた気がする。そんな中で4/27の日経夕刊 らいふプラス「やはりマスク手放せない」という記事が興味深かった。

びっくりしたのが、「他人に表情が見えないので気楽」「マスクをしてないと心許ない」といったコメントに見られるように、マスクに精神的な依存をしている人が多くなってきている現実だ。集団の中にいても、マスク一枚で隔離された感じになって安心になるのだろうか。社会的動物としてそれでいいのかって、ひどく違和感を覚えた。

海外ではマスク人口は少ないと聞いたことがある。多くの人がマスクをして、ただひたすらに携帯を見ながら歩いている今の日本の風景は、やはり異様に見える。マスクには「顔を隠すため」ってネガティブな印象もあるわけで、道を聞くために近寄って来た人がマスクをしていたら、やっぱり身を引く。それは自然な防衛反応だ。

まあ日本のマスク依存は別に悪さをしようとしてるわけじゃなくて、匿名好きのラインに載る日本人の特徴なんだろう。本名を出してリアルで役立つ付き合いをしようってことで始まったSNSも、ちょっと広がればあっさり匿名ネットになってしまうのが日本だ。自分の素顔を出さないで済むならマスクも心地良いってことなのだろう。

今のように豚インフルエンザ騒動の今はマスクは大いに結構と思う。また花粉症予防のマスクだって仕方がないだろう。でも「精神的にマスクに依存」ってのは、社会人としてあまりに未熟じゃないかなと思う今日この頃。
|2009.04.27 Monday |
化粧とネット日記
思うこと
先日のNIKKEI MAGAZINEのパノラマ消費考現学「『みんなで化粧』の構造変化」(石鍋仁美)で、渋谷の109の「SBY」の紹介があった。その一部の完全にオープンな場所に化粧のコーナーがある。鏡とスツールがあり少女達がそこで化粧をする。仕切も衝立もないから、背後を通りかかった少女が、「それ可愛いね」と声をかけて、そこで知り合いになったりする。いやはやなんとも今風だ。

電車の中で化粧する女性をよく見かけるようになってずいぶんになる。雑誌や新聞のコラム記事などではよく「みっともない」とか言われていたが、私は育ちが良くないせいか、化粧している人を見ていてもあまり気にならない方だった。化粧より自分の子どもをまず座らせようとする若い母親や、年寄りを尻目に優先席で狸寝入りしている若者、ドアが開いてもドアの真ん中に頑張っている人の方がよほど問題に思う。
あの揺れの中できれいにアイラインなんか引いている人を見ると「器用だなぁ」と羨ましくなってしまう。あまり見るところのないすっぴん顔が(失礼)、ちょっとの化粧でぱっと華やいでいくのを見るのも微笑ましい。
そしてとうとう、オープンな化粧コーナーがマーケット戦略の俎上に乗る時代になって、私はふと思った。ネットで日記を公開するという行為と、人前で化粧をする行為、根っこの部分で似たような何かがあるんじゃないかって。

本来日記は人に読ませるべきものじゃない。なのにみんなネットで日記を書く。完全に作り事を書いている人もいるだろうが、真実で、かつ結構突っ込んだことを書いている人もいたりする。心の中にある言葉を文章という形にするのは、それだけで「公開して読んで貰って自分を知って欲しい」という欲望の現れなのだろう。公開日記はまさに自分プロモーションになる。
「知人には読まれたくないけど、不特定多数になら知られてもかまわない」って感覚は、老若男女かかわらず人間誰でも持っているようだ。病院の待合室で、どう考えても初めて会った老人同士が、そんな内輪のこと言っていいのか!と心配になるほどプライベートな話をしてるなんてことはよくあって、ああ、これもネット日記と同じだなーと思ったりする。

もちろん最初に電車で化粧をした人は、化粧をする行為を見せたかったわけじゃなくて、時間が無くて、でも「知らない人になら見られても恥ずかしくない」ところから始まったのだろうから、公開日記とはちょっと違う。でも今は「化粧する過程」そのものが「自分プロモーション」になってるのかもしれない。

最終的な問題は「なぜ自分のプロモーションが必要なのか」ということだ。それは自分の思う「自分の有るべき姿」と「現実の自分」にギャップがあるからだろう。そしてこれだけは言えるのは、ネットでの公開日記や人通りの多い場所での公開化粧で、そのギャップを埋められる可能性は実に低いってことなのだ。
|2008.07.26 Saturday |
| 1/1PAGES |
CATEGORIES
LATEST ENTRIES
| 1/1PAGES |
LINKS