風の向くまま

〜Oz's Leaves管理人のブログ〜
その13:終わり良ければ 〜ウルトラマンティガと仮面ライダー剣〜
特撮コラム
平成ウルトラマンを見ようと思った理由は、ウルトラマンティガの評判の高さゆえだった。ウルトラセブンに匹敵すると言われたら誰だって見たくなる。
ただティガを見始めた時、確かに素敵な作品だと思ったが、「それでもセブンと並べるほどか?」というのが正直な感想だった。たぶんメッセージを明確な言動にしていないことが、自分にとって物足りなく感じられたからだと思う。特に実相寺氏の数回はあまりに独りよがりだった気がする。連続ドラマだから実験的な作品も可能という考え方もあろうが、マルチプルアウトな作品は子供番組として、ウルトラマンとして、あまり好ましいとは思えない。

ウルトラセブンは重い問題提起をして、かつそれに対してなんらかのメッセージが語られることが多かった。理想は遠く、そこへの道のりは困難なかもしれないが、それでも「かくあるべき」と明確に言葉にする。かの有名な「血を吐きながら続ける孤独なマラソン」に代表されるように。己の不明で宇宙に迷惑をかけた科学者は最後に反省し、また人類の側が加害者という苦い認識をかみしめつつ、それでも人類の為にというキリヤマ以下の戦いが重く表現されることもあった。
その点ティガは「光を信じる」という漠とした言葉に頼り過ぎた気がする。
確かに「光」という言葉の裏にあるものを感覚として捉えている人にはそれでいい。むしろ余計な言葉はジャマかもしれない。だけど光の感覚が伝わらない人間は沢山いるし、そんな大人に育てたられた子供がその感覚を得ることは難しい。伝えた気になって伝わらないのは、世の中非常に多いわけだが、こと子供番組ではそれを伝える努力をすべきだと思う。

とはいえ、ティガにはそれらをカバーして余りある魅力があった。
まずキャラと役者の素晴らしさがある。初の女性隊長であるイルマとそれを真摯にサポートをするムナカタがいい。シンジョウとホリイも実に魅力的だ。そしてなんと言っても主人公のダイゴがいい。あそこまでアクが無く柔らかいキャラクターが、主人公としてきちんと立っているのは、ヒーロー番組では珍しいのではないか。常に人の良さを信じさせてくれる円谷ならではというべきか(東映だったらダメだったかも)。いや、それともこれがアイドルのアイドルたる所以かもしれない。

そして何より。
ティガで最も素晴らしいのは最終回だ。

あらすじを語ってしまえば、ただ「元気玉」なのだ。倒されてしまったティガが、世界中の子供達の持つ光のパワーによって立ち上がり、闇に勝つ。これ以上でもこれ以下でもない。北国の女の子を、我が家では「ウルトラマン界のスノ」と呼んでるくらいだ(おい)

なのになんでこんなに感動できる最終回なんだろう。

映像のパワーを、映像の価値を、まさに思い知らされる。名もない子供達と、ウルトラマン・ティガの、思いと力が重なっていく。何度見ても思わず正座して画面に見入ってしまう、あのパワーはなんなのか。
外国人俳優を適切に使う円谷らしさは相変わらずだが、ひどく凝った演出という訳ではないし、もちろん奇をてらった物でもない。ただまっすぐに、真っ正面からそれを描いているだけ。それがまた実に爽快。

この最終回こそが、ティガを名作たらしめていると言ったら言い過ぎだろうか。

ティガはキャラクターにも役者にも恵まれた作品だ。だから多少物足りない気がしても毎回それなりに楽しめている。それがあの最終回で増幅する。今まで見てきた作品の魅力的な部分がふわっと心に浮かんでくる感じで、ああ、この番組を見てきて良かったという充足感がこみ上げる。1年かけて語り継いできた「光を信じる」という漠然とした言葉を、ラストで「明確な形」にして見せた。
「終わりよければすべてよし」以上の何かがある。最後の最後で作品の完成度を大きく高めるような最終回。ウルトラマン・ティガの最終回はそんな最終回だったと思う。

最終回と言えば、連載モノにはよく「衝撃の最終回」というのがある。ずっとほのぼのタッチだったのに、いきなりキャラクターが次々死んでいくとか、夢オチとか。だが「衝撃の最終回」は往々にして唐突感があって、それによって作品の完成度が高められることはあまり無い。話題性はあるが、今まで描かれてきた世界と繋がらなかったり、なぜそうしなければならなかったのかの説得力に欠けることが多いからだ。

だが、衝撃の最終回が作品の完成度を高めた希有な例がある。
それが「仮面ライダー剣」だ。

ブレイドは、バトル・ファイトの設定が厳しかったし、役者がなかなか立ってこないとか、前半の展開がまだるっこしかったりで、確かに苦しい作品だった。それでも後半はそれなりに良くなってきて、そこへ持ってきてあの最終回。絶句して感動するというのもなかなか無い経験だった。

ブレイドの世界を定義しているバトルファイトの定義から逃げず、訳のわからない新ネタを引っ張り出してごまかしたりせずに、真っ正面から解決したのが潔い。バトルファイト自体が少々無理のある設定だから、ご都合主義の展開にすることも可能だったのに、説得力がありかつドラマティックというあの結末を引っ張り出したのはすばらしい。バトルファイトという境界条件の中での鮮やかな解法。そんな印象すらある。

ということで、あの最終回にぶっ飛んだ私は、ちささんのアイデアを頂いてブレイドの後日談「ノアの切り札」まで書いてしまった。書くにあたってはブレイドを全話見返したが、後半の展開はなかなかすばらしいことが改めて分かった。誰がどの上級アンデッドと対峙してどのカードを取得するか、剣崎、始、睦月、橘がそれぞれがどう動き回るか、考えてみると結構難しいモンダイになるのだが、実によく考えられている。見るにつれてそれぞれのキャラへの愛情も増した。

だから「ノアの切り札」は、剣への尊敬を込めて、真摯に取り組んだつもりだ。なぜジョーカーが自殺できなかったかとか、その後橘や睦月がどう動いたか、元の作品をより輝かせることのできるFFになっていたら嬉しい。

さて、「ノアの切り札」にはティガの"警備隊"であるTPCやダイゴの子孫も出ている。ちささんの設定が「地球の最後」というSF的なものだったので、つい書いてしまった。私の中では、ウルトラマン・ティガと仮面ライダー剣は、最終回によって全体の価値が飛躍的に高まった作品として色分けされているのである。
|2006.02.22 Wednesday |
その12:なんでも有りパワー 〜ウルトラマンダイナ〜
特撮コラム
さてさて平成ウルトラマンもやっとダイナまで見終わった。
ウルトラマンシリーズは子供の頃に見たエースで止まってる。平成ウルトラマンに手を出したのはネットでウルトラマンティガの評判を読んだからだ。中には「ウルトラセブンと並ぶ傑作」とまで書いておられる人がいて、そこまで言われたら見ないわけにいかない。評判の高かったクウガや人気のあったガオレンジャーが、実際にそれなりに良い作品だったと思うので、ティガも期待できると思った。

と言いつつ、いきなりダイナの感想を書くのはヘンかもしれない。実はダイナにはあまり期待していなかった。ネットで読んだ評価を総合するとティガが素晴らしく、ダイナは中だるみで、ガイアはマニア向け傑作という感じだったからだ。
確かに。確かにティガに比べるとあまりに軽々しい画面。シーンのバラエティも少ない。いかにも予算が無かったんだろうと思わせる。バラエティ中のドラマのようなギャグ回もけっこう多い。そしてまた主人公であるアスカもなかなか飛んだキャラだし、ストーリーも重いテーマは少ない。従来のウルトラマンファンに言わせれば物足りないと言われても仕方がなかったのかもしれない。

だけど見てると何故か面白い。私的には面白さという意味ではダイナもティガと遜色は無いのではないかと思ってる。
ティガは確かに色々なテーマを投げた。だが感覚的にはわかるが何かこうもう少しはっきり台詞にしてもいいんじゃないかというもどかしさを感じる回が割に多かったのだ。怪獣をあっさり倒していいのかという疑問に対しても、結論めいたものは描かれない。もちろん真摯に考えているから余計答えが出せないのだと思うのだが。結局その問いはガイアを通してコスモスに引き継がれる。これがまた円谷の凄いところではある。

ダイナはその意味では実にあっさりしていた。怪獣を倒して良いのかというウルトラシリーズ最大の問題点には敢えて目をつぶり、「夢を捨てちゃいけない。諦めちゃいけない。人は前へ進むようにできているんだ!」そういった判りやすいことに焦点を絞り、それを明確に言葉にした。
世の中確かにあっさり答えの出ないことは多い。ティガが視聴者に考えさせ「己の内にあるものに気付け」と語りかけたのに対し、ダイナは色々あれど「俺達はこう思う!」とはっきり語った。そこが痛快に感じられるのかもしれない。

例えばヒビキ隊長の娘の話などがとても印象に残っている。ヒビキは厳しい親父で、それを束縛と感じる娘は反発し、学校では問題児とみなされる集団の中に入っている。
そこに人間から闘争心を奪って武器にしようという宇宙人がやってきて、娘やその友達の反発心は奪われ「良い子」になってしまう。「私を殺せば娘はまたお前を憎むようになる」という宇宙人に対してヒビキは言い放つ。「それでいい。娘が娘のままありさえすれば。たとえ娘が私を憎んでも、全てを受け止めよう」
ティガでもイルマ隊長の息子の話がある。仕事が忙しくて息子は義母に預けたままになっているイルマは、夫の死に目に立ち会えなかった引け目もあって息子との溝をどう埋めるか悩んでいる。そんな息子と義母が異星人の策略に填りそうになる。最後はもちろん助かるのだが、ストーリーの中で母と息子、義母の絆は明確に言葉にはならない。ただイメージとして語られるだけ。ティガとダイナの差を象徴的に表していると思う。

ダイナの二つ目の魅力に主人公アスカのキャラの特異性がある。ウルトラマンの主役は代々、芯は強いし根性も大有りなのだが、基本的に組織人として仲間と協力的に動く良識的なキャラが多い。隊の方針に異を唱えることはあっても、あくまで「異を唱える」範囲だ。
だがアスカはかなりぶっ飛んでいる。基本的に目立ちたがり屋で傍若無人。シャア少佐が見たら「認めたくないものだな‥‥」と言われてしまいそうな若さ故の怖い物知らず。全体感無視の直情径行猪突猛進タイプなんである。
最初の数回を見ると成長型ヒーローなのか?と思わせつつ、実は他の隊員がアスカに影響を受ける回が多い。もちろんアスカが自分にはウルトラマンになる資格があるのかと悩んだり、副隊長の命令に背いたことを反省する回もあったりするが、結果的にアスカは皆を照らす光であり続けるのだ、最後まで‥‥。
先日終わったデカレンジャーのバンがアスカに似てるかもしれない。バンの方がアスカよりもっと自信ある感じか。デカレンもスタートはてっきり成長型レッドかと思ったのだが、実はメンバーがバンに影響されて成長していくことが最初から意図されていたのだそうだ。

そしてダイナ最大の魅力は、どんなストーリーでもなんの違和感もなく「それは有り」と感じさせてしまう、ワールドそのものが持つキャパシティのでかさだと思う。
作戦室にいきなり書き文字が出たり、参謀がいきなり怪獣の名前をどでかい半紙に筆文字で書き始めようが、かつてのガッツメンバーが宇宙海賊のカッコでいきなり登場しても、夢落ちでも、違和感なく素直に楽しめる。
もちろんギャグだけじゃなく、ヒビキと娘やアスカとその父親の話など親子の絆がずっしりと語られたり、隊員たちの必死の活躍や隊長と隊員たちの信頼が熱く描かれ、そして時には、参謀と異星人の淡い恋が描かれたりする。本当にギャグもシリアスも恋のドラマも、なんでも有りなんである。

ガオレンジャーも多分にこういう幅広さを感じた。それがガオの人気の一因だったと思うが、ダイナの方がキャパはもっと広い気がする。これは敵が毎回異なることや、スーパーガッツという組織があるため色々な立場と年齢のキャラが絡ませられるというウルトラマン・シリーズの特徴故だろう。
例えばタイムレンジャーやギンガマンにも「そばにある夢」や「トマトの試練」などのギャグ回があったがどこか浮いた感じが出てしまう。あれだけの名シリーズでもなんでも有りパワーはそう簡単には出ない。ポワトリンやらトトメスの不思議少女シリーズは、一見なんでも有りだがそうでもない気がする。ギャグもシリアスもどこか掛け違えた不思議感が必要だからだ。まああのシリーズは浦沢氏以外が書かれた作品が無いからなんとも言えないのだが‥‥。

「何でも有りパワー」はけっして計算で出るものではないのだろう。敢えて言えばあまり細かく設定を決めず、緩い状態から始めて、そんな中からたまたま醸し出されてくる雰囲気のようなもの‥‥。それが出せるかどうかは運命。
そんな不思議な「何でも有りパワー」を持っているウルトラマンダイナという作品が好きだ。
そんなダイナだから、そんなアスカだから、最後は帰ってきて欲しかったとも思う。谷を抜け出した最初の人類と同じ、人類の記念すべき旅立ちになるのであっても。
ダイナミックのダイナ、ダイナマイトのダイナ、大好きなダイナなんだから‥‥。
|2005.03.26 Saturday |
その11:ガオの夢・クウガの夢 〜爆竜戦隊アバレンジャー〜
特撮コラム
今年の2月に終わった戦隊シリーズ「爆竜戦隊アバレンジャー」は、結果的にはあまり成功したとは言えないのかもしれない。ただ私にとってはやはり印象深い戦隊だった。

私はアバレンのメインライターの荒川稔久氏の脚本が好きだ。真剣に考えられた構成にも感心するのだが、思いやりや一生懸命さといった言い古されているが大切なものを、衒い無くポジティブに扱っているからだ。標語だけ並べ立てた感じじゃなくて、本当にそういった事が大事と心から思っていて、それを子供達に伝えたいと思ってる。そんな感じがする。
アバレンの前半にあった水たまりを飛び越えられない少年の話や、かけっこが大好きなのに運動会が無くなってしまった少年の話は、いまだにとても印象に残っている。

さて、アバレンジャーでまず面白いと思ったのが、ガオレンジャーの夢を再現しようとしていたように思えることだ。私の知人の子供では、ガオの後、ハリケン、アバレンを経た後で、なおガオレンジャーのロボットがお気に入りという子がいる(ちゃんとハリケンとアバレンのロボも持っているのに、だ)。番組制作者側にしてみれば、あれはまさに夢の戦隊だったと思う。

アバレンジャーは動物の代わりに恐竜のモチーフを使い、ガオソウルをダイノガッツに置き換え、複数のロボットを登場させるというガオメソッドを採用した。
ただしガオレンジャーでは大量に存在したパワーアニマルだったが、爆龍は有限だった。そしてガオでは殆ど喋らなかったロボットたちに、明確なキャラを持たせた。これが吉と出たか凶と出たかは評価の分かれるところだろう。

幸人をひたすらに慕うトリケラや、子供に対する責任感を語るティラノ、そして自分の存在理由を探してアバレキラーに惹かれていくステゴのエピソードなど、どれも実に印象深い。だが戦士達以外にあれだけの多くのキャラを描いていくのは大変だし、それ以上に声優さんへのギャラが大変だったと思う(苦笑)。大人にとっては明確にキャラのある爆竜たちは可愛い。だが、それを子供向け30分番組の中で維持していくのはけっこう大変なことなのかもしれない。
有限だと全部の玩具が作れるメリットはあったろう。だが、ガオレンジャーのパワーアニマルやハリケンのからくりボールのようなワクワク感は無くなった。大人にしてみればなんでもありはイマイチなんだろうが、子供は違う。いやはや本当に難しいと思った。

その目で見ていくとデカレンジャーのロボットはまたがらっと変わっている。タイムレンジャー以降CGに頼りすぎだった感のあるロボット合体シーンを、昔ながらのきちんと玩具を使ったものに戻した。CGだと玩具を買った子供がTVと違う!と文句を言いそうで心配だったが、昔の方式なら大丈夫だ。
なによりデカレンジャーは、玩具会社だけでなく幅広いスポンサーを得たのが素晴らしい。玩具会社だけに頼ると、スポンサーの意向でロボットや武器をどんどん生まなければならなくなって振り回されそうだが、スポンサーの種類を増やせばそれが防げるのかもしれない。

そういえばアバレンジャーの失敗をデカレンジャーで生かしたという点では、キャラの区別を明確にしたことがありそうだ。アバレンジャーは、凌駕とらんる、そしてアスカと、4人のうち3人が同じ方向性を持ってしまった。個人的には凌駕もらんるもアスカも大好きだったのだが‥‥。実際問題、あんなシチュエーションで戦士を集めたら、かなり似た奴が集まる気がしないでもない。元々ダイノガッツに溢れていて、変身して敵と戦おうというわけだから‥‥(苦笑) でもあそこまで被ってしまうと、ストーリーにふくらみが出しにくいという部分はあるかもしれない。
それで反省したデカレンジャーは初っ端からキャラが立ってる。仙ちゃんとジャスミンという絶妙なキャラがとてもいい味を出していると思う。


アバレンが実は書こうとして書けなかったテーマ。それは第19話のアスカの一言に集約されている気がする。
「アバレンジャーが4人居るのは複数いれば意見も色々出て暴走しないからです。だけどアバレキラーは1人で敵に立ち向かう発想で作られたため、凶悪で強力な爆竜を相棒としている」

強力な一人より力を合わせる複数の方がいい。
「皆で力を合わせて」
それは綿々と続いてきたスーパー戦隊の最大のテーマだ。

それで封印されたアバレキラーが登場するわけだが、その配置が今から考えると難しいものだった。
1)アバレキラーはチームワーク型ヒーローの対比としての、パワー集中型ヒーローとして置かれた。
2)同時に「自分が楽しければ何をしてもいい」という、「根本からの悪」としても置かれた。

1)だけなら、最終的にはキラーが5人めのアバレンジャーとなり、仲間と力を合わせて戦う‥‥と持って行けばいいので、治まりが良い。だが、そのキャラが2)の要素も併せ持ってるとすると、どうしたらいいのか。徹底的な悪にまず改心してもらい、次にチームワークに目覚めて貰うという、なかなか大変な道のりになってしまったわけだ。

アバレキラーそれ自体は「最強のパワーを持った徹底的な悪」という判りやすいものだ。だから役者さんのノリも手伝って、どんどんキャラが立ってしまった。それをなんとか押さえ込まなければいけないのだが、キラーには前述した二つの要素が入っているため、打倒キラー!だけで進んでいくわけにもいかない。
迷った末にヒーロー側にマックスモードが登場したことで、1)のテーマについて完全にぼやけてしまった。マックスモードは他の2人の力をレッドに託すもので、最初からレッドが強いわけではないのだが、集約型vsチームワークという対比にならない。


なぜアバレキラーが「根本的な悪」も持ってしまったのか‥‥。
私はここに、クウガの夢があるような気がして仕方がない。

凌駕を見たとき、まるで五代雄介だ、と思った人は多いんじゃないか。人間への夢への希望への、徹底的な信頼。アバレンジャーの第9話、皆の心を纏めて岩を動かして異世界から脱出する話こそ、まさに凌駕だった。
だがその信頼を打ち砕くようなものが現れたとき、彼はどうするのだろう。

クウガでは五代雄介の信頼を裏切るものはいなかったのだ。敵はどんどんと強靱になっていったが、雄介はいつも温かい人たちに囲まれていた。未確認生命体に憧れる蝶野のエピソードはあったが、五代雄介の信頼が脅かされたことは基本的に無い。
クウガのアルティメットフォームは相手への憎しみで到達した究極の形態だ。だが雄介が最後に変わったそれは、真の凄まじき戦士じゃなかった。それは彼をアルティメットに変えたものが「信じていたものに裏切られた憎しみ」じゃなかったからだと思う。そこにあったのは、ただ怒りと哀しみだった。

雄介だって誰かに裏切られ、それを憎んだことがあったのかもしれない。それを乗り越えたから、今のあの自信に満ちた雄介がいるのだろう。そのドラマを書きたいと思う気持ちが、荒川氏の中にあったんじゃないかと。凌駕が裏切られ、憎み、それを解消する‥‥。それはクウガに至る道。

だが、人を信じる凌駕が「裏切られた」と思うためには、悪の側が本当に悪くないとダメだ。クウガのダグバのように「戦いたい」だけじゃ憎しみを作れない。
そうしてキラーはあのような悪になった。凌駕もまた怒りを爆発させてそれに対抗した‥‥が、ただその路線は描き切るにはちょっとヘヴィな命題だった。

ダイノアースとアナザーアース、アスカとマホロとリジェ、呪いの鎧。ただでさえ色々なものが絡み合う中で、まっしぐらに求めて行くにはやや困難なものが「思い」と生まれてしまったアバレンジャー。これでは確かに衒いなくアバレることが難しかっただろう。
でもこんな風に思うと、逆に作った側に親近感を持ってしまうのは私の贔屓目なんだろう(笑)

最後に一つ。一度でいいからぜひ奥村氏に変身して欲しかった! アバレシルバー。いつかやってくれるのでは、と期待していたので、これだけは残念だった(笑
|2004.07.25 Sunday |
その10:ヒーローの社会性〜龍球「幻の29話」
特撮コラム
ゆうさんの龍球29話は途中でボツになった。壮大でリアルで緻密なストーリーを6パートも書いて下さったところでダメを出したのは私である。素人の創作サイト(法に触れず他人に迷惑かけない限りは何を書いても良いってのと同義だろう)で、それは無いだろうと叱られて当然だが、これを本編として受け入れたら続きが誰も書けない。そう思った。

こんな喩えもおこがましいが、あの話を正式に29話にしたら、手塚治虫氏の「鉄腕アトム」の1つの章としていきなり浦沢直樹氏の「プルートー」が座している・・・そんな感じになったように思う。双方とも魅力ある作品でかつ根っこが同じであっても、一緒に混ぜて美味しくなるかと言ったら微妙な気がする。

幻の29話には「さもありなん」と納得できるだけの圧倒的なリアルさがあった。実社会にOZのような組織があったらあの様な裏や闇もあるだろう、自衛隊もそうだろう‥‥etc。だからこそぎりぎりまで言い出せなくて、かえって申し訳ないことになってしまったのだが。
29話についてはあとがきコーナーで「ボツ29話」としてゆうさん自身が書いて下さっている。ぜひお読み頂きたいし、OVSとして復活して欲しいと思う。本編ではなくてファンフィクションであれば、あれは完璧に素晴らしい作品になるだろう。


さて、私が27話で自衛隊を出したのもこの幻の29話の影響がある。色々あってオズリーブスの代わりに戦ってくれる人が必要で、そうしたら自衛隊しかなかった。あと脚本家の荒川氏がクウガについて「怪人がやりすぎるとなぜ自衛隊が出てこないかってことになるので加減が難しかった」とコメントされていたことがあって、じゃあちょっと書いてみようかなと‥‥。
ゆうさんぐらい自衛隊に興味があって色々読んでいる人ならいざ知らず、はるか昔に読んだ「ファントム無頼」ぐらいしか知らない人間がそんなことをやろうとするのだから無謀にもほどがある。でも自衛隊や機動隊が出てくるとリアルっぽくて迫力があって面白いし。そう思って、ネットで色々見ながら書いてみた。まあ自衛隊の装備で怪人に対抗するのは、意外に「帯に短し襷に長し」っぽいぞとわかった事だけは収穫だったかもしれない。


で、ゆうさんの29話のあとがきを読んで、ゆうさんが29話でなさろうとした事と、自分が27話でやったことの本質的な違いが何だったかが初めて言葉になった気がする。

私のやったことは龍球戦隊へのただの「味付け」だ。龍球の設定がどれだけ現実離れしていようと、こんなキャラいないだろうと思われても、それらを無条件に認めて不可侵のものとした。そして余った部分に自衛隊を埋めた。
一方「幻の29話」でゆうさんがされたのは逆のアプローチのように思える。政治や自衛隊の存在する現実社会の枠組みの中に、龍球戦隊をはめ込もうとするチャレンジ。どうしても組み入れきれない龍球の非現実性を、OZの裏の側面を加えることで繋ごうとした。


ゆうさんもあとがきで書いておられるが、ヒーロー番組のヒーローが実在したら‥‥と考えるとけっこう壁にぶちあたる。警察や自衛隊にそういう部隊があっても、今の政治やマスコミやそういったもろもろの枠組みの中では実際に動くのは難しいだろう。動けば非難され、動かなくても非難されて八方ふさがりになりそうだ。かといって素人集団が何かと戦ったら、なんのかんのいって逮捕される可能性もある(苦笑) その意味でヒーローと現実社会のバランスがうまく取れていたのはクウガだと思うが、それでもあんな寛大な警察はいないだろう。


各種ヒーロー番組がそういった点をどう料理しているか見てみると、「人知れず系」か「組織系」の2種に大別できそうだ。
「組織系」はヒーローそのものが公的機関の一員である場合。たとえばゴレンジャーやチェンジマンやオーレンジャーとか。ジバン、ウインスペクターに始まるメタルポリスシリーズもこのカテゴリーかな。そしてこんどのデカレンジャーや仮面ライダー剣もここに入るのだろうか(おお、剣は初の組織系ライダーか?)。

「人知れず系」はターボレンジャーやギンガマンのような「ファンタジー的人知れず系」やダイレンジャー等の「古代文明的人知れず系」、仮面ライダーの「改造された孤軍奮闘系」。少しひねったパターンが宇宙刑事シリーズやタイムレンジャー等の組織には属しているが現代地球にいる間は人知れずという「バックグラウンド有り人知れず系」。ウルトラマン系は「○○隊」は思いっきり正規軍だけど当の本人の正体が分からないので「組織の中で人知れず系」。おお、系統図が作れそうだ(笑)

この視点で我が龍球戦隊を考えてみると、既成のヒーローよりもまだ「ありえない」のがよく分かる。素人集団がヒーローをやって政治を気にしないで動ける「人知れず系」のメリットと、社会的に認知されていて組織からバックアップが受けられる「組織系」のメリットの両方を享受しているからだ。その意味で安直に見える部分が多い。


だが(思いっきり言い訳だが)、龍球戦隊にはもともとしっかりした設定や背景が無い。BBSでのごっこ遊びをできるだけ成立させることを主眼に設定を決めた‥‥らこんな感じになってしまった。BBSの会話を精一杯取り込んだことには自信があるが(おい!)、本質的には設定には見るべき物の無い典型的なキャラ萌え戦隊なのである。

そんな現実離れした美味しいだけの戦隊であっても、一貫する世界観のようなものは保持しないと本編にならない。そういった統一感について私は拘るタイプなんだろう。DBファンフィクを書いてさえ原作を補完する形を理想とするし、映画や小説でもストーリーの辻褄やキャラの言動の一貫性について拘る。だから「現実離れして美味し過ぎる」のが龍球の特徴であるならそれを保持していくつもりだ。

とはいえ、スタートの時点で上述のような分析が為されていれば、メンバーが素人集団と相成った段階でファンタジー系を採用してたかもしれない。八犬伝よろしく「星の入った水晶玉と巡り会った5人の戦士が‥‥」みたいな(苦笑) おお、そうすれば六星球と七星球持ってる6番め7番めの戦士が登場しても自然だ!(爆笑) よーし、次回に生かそう(次回って?)


ただ。そういった生い立ちを抜きにしても、ヒーローの「ありえなさ」はそれはそれでもいいと私は思っている。このコラムの8「なぜ特撮ヒーローなのか?」でも触れたが、ヒーロー物は初歩的な物理の問題に似てる。滑車やらボールが落ちたり転がったりする問題で空気抵抗や摩擦はゼロとするってあれだ。現実ではそんなことは絶対にありえないから、その手の問題はそのままでは実用にならない。でも最初から空気抵抗や摩擦を考えたら本質の法則が見えにくくなる。そしてその本質の法則もまた必須なのだ。
人の優しさも強さも「現実にはあり得ない形だけど本質はこれ」みたいなのを語る一つのやり方がヒーロー物なのではないか。視聴者は成長するにつれて空気抵抗やら摩擦やらの存在に気づいていき、シンプル過ぎるヒーロー物を卒業していく。でももっと歳をとってくるとまた本質に戻りたくなってきて、ヒーローに戻ってくる。

ということで十分に歳をとった部類に入り(苦笑)、かつ赤星を愛して止まない私は(しかしどうしてここまで可愛いかな)、摩擦も空気抵抗もない、現実にはありえない「優しさと幸せとかっこよさ」を書き続けて行くんだろう。
|2004.02.19 Thursday |
その9:ダイレンジャー
特撮コラム
スーパー戦隊シリーズの中で何が好き?と聞かれた時、必ず上位にあるのがチェンジマンとダイレンジャーだったりします。戦隊が好きと言っても何度か繰り返し見たのはこの二つだけ。両者に相通じるのは何なんでしょうね。5人が5人とも魅力的で、役者さんがのめり込んでいる感じで、あとみんな仲良さそうに見える‥‥という処かな‥‥? ああ、こう書いていて私も女性だなぁと思いました(苦笑)。

話がズレますが、ドラマの要素にはキャラの魅力とか設定の堅牢さとかストーリーの面白さとか演出や映像の良さとか色々ありますよね。で、男性は設定とかストーリーまでちゃんと見てるけど、女性はキャラクター(演じている役者含む)が良ければいいって人が多い気がするんです。私も特撮本など読むとき、つい設定より人間ドラマの部分や役者さんのインタビュー記事とか見ちゃうし。

「オリジナル戦隊同盟」の加盟サイト様も男性の管理人様が多い気がします。もうどのサイト様も設定が凄くきちんとしてて感動です! それに比べるとウチはいい加減だなぁ(大汗)
キャラに頼らずに「男の人が読んでも面白いものを書ければなぁ」って憧れめいたものはあるんです。でも哀しいかな、私の過去作品のなかでそれに該当するのはDB小説の「私はロボット」と「One of the Endings」だけですねぇ(涙)。残念‥‥。


閑話休題。
ということで大好きなダイレンジャーなんですが、私の中でこれは「不思議作品」に位置づけられます(笑)。本放送で見始めて、面白いのに何故か不安感につきまとわれつつ見てたんです。どっか踏み外したらコケるんじゃないかって‥‥。中盤に来ても、大丈夫か、どう展開する気なんだって不安感が続いてました。「ワクワク感」や「ドキドキ感」じゃないんです。「不安感」なんです。

ダイレンジャーはメインのストーリー以外に、5本のサブストーリーが流れるような形で進んでました。A:レッドの亮+的場陣、B:グリーンの大五+クジャク、C:ブルーの将児+敵のボケキャラ3人、Dイエローの和+7番目の戦士、E:6番目戦士のコウ+コウの母+敵幹部因縁話+ここにピンクのリンが入る‥‥みたいな‥‥。その上、それぞれのサブストーリー、脚本家の担当が決まってたんです。

サブストーリーの分で20数話はあったと思います。で、サブストーリーの時は基本的に1人がメインであとの4人は脇役。上のEは本編にも絡んでいたのですが、それ意外にも本筋主要回はもちろんあるわけです。
それぞれのエピソードが終わらないうちに、「あ、またイミ深なキャラが出てきたぞ‥‥」「あ、まただ!」と全50話のうち6割以上がそんな感じ‥‥。大丈夫か。こんなに風呂敷広げてまとまるのか。ちゃんと落とせるのか‥‥って、人ごとだけど不安になりながら見てましたね。

あと「大神龍」ってもの凄い存在が出てくるんですよ。子供には難しすぎたとは思うんですが、私的には面白かったです。正義側だろうが悪側だろうが、とにかく争いを起こすともの凄い攻撃力でそれをつぶしにかかるどでかい龍なんです。まあ神様なんてそんなものかもしれませんね。言い分なんて聞かずに「喧嘩両成敗」ってあっさり罰を下される。「幼年期の終わり」のオーバーロードを思い出してしまいましたよ、私は(苦笑)
それでこいつのお陰でいきなり休戦になって、その間に決着のついてないサブストーリーをばたばたばたっと片づけるという凄いワザを使ってくれました。それでも中途半端にしないでちゃんとケリつけてくれたのはとても好感が持てました。

導師嘉挧(博士役ですね)が実は敵側の人間で、敵の首領の反対勢力だったとか、味方の基地から敵の宮殿までバイパスが繋がってたりとか‥‥。ある意味めちゃくちゃな展開でもありました。それでも今の仮面ライダーみたいに謎が謎を呼んでいつまでも「引き」という感じじゃないのが良かったかな。連続話でも2、3回の間には説明して(まあムリな説明もあったけど)すっきり片づけてくれたのでカタルシスが得られました。

でも5人それぞれがサブストーリーを持ってましたから、ヘタしたら雰囲気的に5人がバラバラになる危険性も大きかったと思うんです。なのにちゃんと一体感があったのが面白くて。脚本でちょっとずつフォローしてたのもあるのでしょうが、素顔の役者さん同士の仲間意識が強かったのが良かったんじゃないかと思うんです。超全集などを見ると本当にいいチームワークだったようで、日頃のそういう感じが演技ににじみ出てたのかなぁと‥‥。

それでも誰か一人と言われれば、やはりレッドの和田圭一氏の頑張りが大きかった気がします。実はリアルタイムで見ていた時は大五が好きだったんですが、あとから見返すとやっぱ和田氏が偉かったんだなって‥‥。第1話からかなり入ってた感じなんです。それがちょうど「気力だァァッ!!」ってタイトルにぴったりマッチしたんでしょうね。
戦隊モノはメンバ全員が新人なことが多いから最初はなんとなく様子見‥‥みたいになりがちだけど、ダイレンジャーはレッドが最初から燃えてて、それがあとの人にも伝搬したという感じですね。

そして他の役者さんも良かった。導師嘉挧の中康治氏は絶品、敵役の三人も迫力満点、クジャクの森下氏は「うそ! キリカってこんなに美人だったっけ!」と絶叫しました(笑) 夫には「俺には最初からわかってたぞ」と言われてしまいましたが。何をさ(爆笑)
そして的場陣役の広瀬氏が本当にハマリ役というか(笑)。ここまで来ると「私が悪うございました」としか言えない(笑)。まあゲストキャラだから美味しいとこだけ書けたとも言えます。それを言ったらサブストーリーの集まりで構成されるダイレンジャーは、全体的に「美味しいとこだけ書き」で進んだ作品なのかもしれません。
とにかく元々広瀬氏が大好きな私は的場が書きたくて龍球30話に登場させました。TVの的場よりちょっと若い感じですね。でもダイレンでは亮と的場が「拳士として」戦ったのに、赤星は違った方向に行ってしまったのは私にも予想外でした(笑)

そしてダイレンジャーの忘れちゃいけない魅力として、変身後のアクションのカッコ良さがあります。中国拳法系なんですが未だに戦隊史上で最も美しい動きだったと思います。25戦隊登場のスペシャルで25人のレッドが出てくるシーンがありまして、あの中でも光ってましたよね。まあ子供には絶対マネできなかったと思うので、それで路線変更したんでしょうか(笑) ガオレンジャーの中で某オルグがシシレンジャーのマネしてたシーンには笑いました。

あと、6番目の戦士が子供で、剣の力を借りて変身すると大人の体格になるという目新しいスタイルを取り入れてました。ただこれ、その後使われないのは何故なんでしょう。あのくらいの演技のできる子役だって居そうな気もするのですが‥‥。それとも視聴者の子供にとっては、変身して戦うのはお兄ちゃんお姉ちゃんの方が良いのでしょうか。興味深い処ですね。

ということで、読み返すとあんたはダイレンジャーの何が好きなのよと言われそうですが、「役者さんの一生懸命さが噛み合って、すごい盛り上がりを見せてくれたトコ」‥‥とまとめておきます。

ただ、もしもダイレンジャーの人気が高かったのだとしたら「あれはたまたま役者さんがハマったから良かったので、手法はマネしない方がいいのでは」と思います。
たとえばコンサートで、音響や演奏が演目にそぐわない状況だったのに、たまたまボーカルがプライベートで何かあって、その歌を聞いたみんなが感動したとしましょう。それは確かに成功なんでしょうが、だからって次のコンサートで同じような音響や演奏を用意するのがどうかってことですね。
|2003.10.03 Friday |
その8:なぜ特撮ヒーローなのか?
特撮コラム
ひゆーさんとメールでやりとりしてて、ふと思った(思っていたらひゆーさんからも質問された。流石だ)。
なぜ私は特撮番組を見るんだろう。なぜアニメは見ないのに特撮は見ているんだろう‥‥。
アニメも特撮も基本的には大人向けではない。未成年者対象の空想物語というジャンルになるだろう。好きな人達は成人してもそれらをずっと見続ける。私の場合も思いっきり成人だけど特撮は見る。なのにアニメはまず見ない。それはなぜなのか?

私のアニメ歴。小さい頃に大好きだったのが白黒のTVシリーズの009、海底少年マリンとかマッハGoGoGoだ。その後ガッチャマンとかコンバトラーVのあたりはよく見てた。高校の三年間はダイターン3、初期ガンダム、イデオンだった‥‥のだが、高校を卒業してからアニメをぴたりと見なくなった(仕事で関わったセーラームーン等は別)
一方特撮ヒーローについては、小さな頃は「ウルトラマンシリーズ」が殆ど。等身大ヒーローはほとんど見て無くて「仮面の忍者赤影」が好きだった記憶があるくらい。本格的に見始めたのが「ライブマン」(20代後半になってた)から。そこから6年は過去作品を借りたり、ビデオを買ってまで見るほどはまった。途中5年ほどブランクを置いたが、3年前から再び見始めて、これから先もコンスタントに見てそうな気がする‥‥。

アニメと特撮の最大の相違は「絵」と「実写」の違いだ。アニメキャラは絵と声によって成り立つが、実写キャラはかなりのウェイトを役者さんに負う。もちろん脚本と演出が入るのだが、実写は実在の人間を直接感じられるわけだ。役にハマリすぎて他の役が回ってこなくなる〜〜なんていうのも、視聴者から同一視されてしまう実写ならではのこと。たとえ演技が下手だったとしても、役がその人自身とうまく重なれば魅力的なキャラになったりもする。

えらく単純な話なんだが、私の場合この特性が「アニメより特撮」の一つの大きな理由になっていると思う。特撮ヒーローものでは新人の起用が多いので成長過程のようなものが微笑ましいし、ベテランの方ならその役作りが面白い。子供と一緒にアニメも特撮も見ているであろうお母さんたちが、アニメの美形キャラに惚れるより特撮のイケメン俳優(笑)さんに惚れるのも、似たような所はあるんだろう。

じゃあ、なんで普通のドラマを見ないのかってことになってくるのだが‥‥。

それはもう「ヒーローもの特有のシンプルさ」が快感だからだ。類い希な能力(努力できるのも能力のうちである)を自分の為でなく人のために使って頑張る主人公たち。そして基本的にやっつけてもいい敵(笑)。実生活では絶対あり得ない。あり得ないシチュエーションだからこそ、多くの人が共通的に「いいな」と思える本質的なものが描ける気がする。イデアまで言ったらオーバーだが、まあそんな感じ。

物理とかの勉強に似てるかな?。例えば「ボールをある高さから落とした時に、この地点ではどれだけの速度になってるか」ってな問題で、最初から空気抵抗とか考えてたら本質の法則を見失う生徒が多発するだろう。実際には重力のみの状況なんてあり得ないんだが、そこを敢えてシンプルにすることで法則をわかりやすく理解できる。で、法則がよーく判ったところで実際の空間だったらどうかということを付け加えていけばいい。

人間の心はごちゃごちゃしたリアルの中で学ぶべきことで、物理法則とは違うと怒る方もおられるだろう。それでも「良い」とは何か「悪い」とは何かという基本的な感覚は、そういったシンプルなことから身に付いていくと思うのだ。そのうち、実際のコミュニケーションはそうシンプルじゃないことがわかってくれば、ヒーローものから離れて新たなフィクションの世界を好むようになってくるのだろう。
最近の青少年向けアニメーションは、たとえ宇宙が舞台でもヒーローものよりはリアルだ。戦争がテーマなら敵と味方はあっても正義と悪は無い。スポーツ系ならライバルはいても敵はいない。特撮ヒーローを見ていた子も、成熟するに従ってアニメに移行していくパターンが多いんじゃないか?
ところで話は違うが、なんでスポーツ系の実写ものって最近無いんだろう‥‥。昔は柔道ものとかバレーものとかあったよね。も一つズレるが、ジャンプの漫画って敵と戦っててもスポーツ系って感じがする‥‥。一度戦うと仲間になったりするからか(笑)

で、私ぐらいの年齢になってくると、だ。
また基本に戻りたい気がするのかなぁ。実際の世の中がややこしいってことはわかった。そっちに関しては自分のシチュエーションだけで勘弁してくれって感じで。逃げ出したくなることも、ずるいことをやりたくなったりもする。そんな時にヒーローを見るとシンプルで純粋なものを忘れないでいられる気がする。

特撮ヒーローの次に単純なものは何かというと時代劇だと思う。大河ドラマ系じゃなくて水戸黄門とか暴れん坊将軍とかそういったもの。敵が異形じゃなくて人間なだけで、あとはほとんど同じ。キメ台詞有り。キメポーズ有り。
とにかく時代劇なだけで現実と乖離してる上に、たぶん時代考証も敢えて無視するケースもあるんだろう。ヒーローは非現実的だからね。そうでもしないと存在しにくい。ということで、時代劇好きなお父さんもテレビ番組にシンプルさを求めているのかもしれないと思うことしきり。

昔の刑事物はヒーローのカテゴリーに入ると思う。でも極悪な犯人でもいきなり撃ち殺すわけにはいかないところが時代劇や特撮ヒーローとは異なる。やっぱり必殺仕置人が許されるのは時代劇ならではなんだろう。時々それをやっちゃうダーティハリーみたいな「はみ出し刑事系」もあるが。最近の刑事ものはむしろ企業ドラマに近くなってるのかな? 見ていないのでよくわからないけれど。
そう考えると、一昔前の任侠もの(最近だったらVシネマの類?)は、できるだけ現代社会でヒーローをやろうとした結果かも‥‥ちょっとダーティだけど

ちなみに私も時代劇ヒーローは好きだ。結婚して落ち着いた感じの人が多いのもマル。昔風の刑事物もけっこう好きだと思う。ただヤクザ系は前半で救われない被害者が出てくるケースが多いでしょ。もの見るときに結構感情移入しちゃうタイプなので、あれが辛くて、ちょっと避けます。
でも時間は有限だし、優先順位の関係でけっきょく特撮ヒーロー見てるな(笑) ダンナは自分のダンナで満足だし。若いヒーローは弟や後輩みたいで可愛いし(爆笑)

と、こういったことで、私は特撮ヒーローを見てるらしいです。

で、最後に、敢えて目をつぶってきた問題を一つ。

なんでヒーローは「敵」や「悪」と物理的に「戦って」ないとダメなんだろう? 戦うってどう考えても暴力なんだよなぁ。人に優しくするならそれこそ「世界名作劇場」でいいはずだし、サンダーバードみたいな災害救助でもいいんだけど‥‥。でもどんな時代も「悪」と戦ってるヒーローは多いよね。私自身、戦ってないヒーローなんてイマイチ想像できないし‥‥
何度も何度も繰り返されるモチーフには、必ず普遍的で共通的な何かが隠されてる‥‥と思うので、やはり多くの人のなかに「闘争願望」があるからかなと考えたくなる。

ヒーローものは「元々人間が持っている闘争願望を悪い方向に発揮させないようにするための」何かなのか? そのままにしとくと、なんでもかんでも暴力を振るってしまうので、この際、暴力の使い方を刷り込んでおこう‥‥みたいな‥‥。
動物は自分を守るために戦うことを小さい頃から知ってる。「戦える力」を欲するのは動物の本能。ただ動物は自分が安全でお腹が満たされればそこで止まるけど、人間はどんどんエスカレートするからなぁ。だから力は人のために使おうね‥‥って、特撮ヒーロー番組見せて刷り込んでおくわけだ。
うーん。そう考えてるとちょっとブラック。
|2003.08.25 Monday |
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